映画 インヒアレント・ヴァイス
先日札幌に行ったときに、あるお嬢様と映画の話になり、「何かおすすめの映画ある?」と言われ、その時は題名をど忘れしていた映画「インヒアレント・ヴァイス」をお勧めしておいたので、ここでも紹介しておきます。
この映画はおやじの恋愛妄想映画だ。
この映画は主人公の探偵のドックが昔の恋人シャスタの頼み事を聞いて行動を起こすことで遭遇するイベントをコメディタッチで映像化している。しかし、物語のメインのストーリーはドックのシャスタへの未練と愛と妄想ではないか?。
-若いころに付き合っていた、自由奔放で美しい彼女。彼女の心をつかみ損ねフラれることになってしまう。
映画の中でもドックはなぜフラれたのかわかないようなことを言っていた。男としては一番心残りとなってしまうシュチエーションだ。
-時は流れ、おやじになったある日、彼女がふと現れ頼みごとをしていく。頼りにされたことを意気に感じて頼みごとの調査を開始するが、調査の途中で様々な厄介ごとが発生する。
ここから妄想の世界(だと思う)。
主人公(著者)がおやじになってふと昔を振り返り、シャスタのことを思い出す。自分に都合のよい妄想が全開する。
自分から離れたシャスタが突然「自分を頼り」に現れる。(妄想と言えども納得できるシュチエーションは重要)。時代背景は自分が一番輝いていた時代にタイムスリップ。
シャスタから与えられた課題をクリアしていくのは、妄想にはストーリー性が求められるから。サスペンス要素は、小説を作成するうえで妄想をカムフラージュするための肉付けと思われる。結局は妄想なので、ほかの男のもとにいるシャスタが自分の手元に戻ってくるための理由付けのためのストーリーとなる。
監督ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)が映画でコメディタッチで描いているのも、妄想ストーリーという前提があるからではないかと思う。(そんなことはないと思うけど・・)
-問題を解決して、シャスタと夢のような時間を過ごす。
まあ、妄想としてはここが物語のピークである。映画もしっかり映像化しているので、鑑賞するおやじとしても満足度は高い(@_@)
ただ、この先のエンディングが妄想としてはちと物足りない。映画では最後にドックとシャスタが二人で車?でどこかに向かっているところで「よりを戻したわけではない」と言葉を残し終了する。妄想ならここでさらに一波乱ありのバッドエンドで我に返るはずだと思うのだけども。
原作小説はまだ読んでいないが、原作と映画のエンディングは違うらしいので、原作の翻訳本が電子化されたときは原作を買って読んでみたい。多分悲しい結末になっているはずだ。
インヒアレント・ヴァイスは保険用語で「内在する欠陥」を意味するらしいが、「内在する欠陥」=自分の心の中のシャスタの存在を表しているのではないだろうか?
男は昔の恋人のことを結構引きずる。ふとした瞬間に昔の恋人思い出し昔の甘い記憶に浸ったり、反省したりする。
この物語も主人公(筆者)の妄想(願望)をそのまま物語にしてしまったのではないだろうかと思う。
現実の世界では彼女もセックスフレンドも親友もいて幸せなはずなのに、心の中に闇のようにシャスタが存在し美化されていく。インヒアレント・ヴァイス・・・
この感想そのものが妄想とお叱りを受けそうですが、まずは映画を見てみてください。そして感想を聞かせてください。おやじなら心に響くものがあるはずです。
監督
ポール・トーマス・アンダーソン
脚本
ポール・トーマス・アンダーソン
原作
トマス・ピンチョン
『LAヴァイス』
出演者
ラリー・“ドック”・スポーテッロ(ホアキン・フェニックス)
クリスチャン・F・“ビッグフット”・ビョルンセン(ジョシュ・ブローリン)
コーイ・ハーリンゲン(オーウェン・ウィルソン)
シャスタ・フェイ・ヘップワース(キャサリン・ウォーターストン)
ペニー・キンボル (ース・ウィザースプーン)
ソンチョ・スマイラックス(ベニチオ・デル・トロ)
ホープ・ハーリンゲン(ジェナ・マローン)
ペチュニア・リーウェイ(ジョアンナ・ニューサム)
ドクター・ルーディ・ブラットノイド(マーティン・ショート)
スローン・ウルフマン(セレナ・スコット・トーマス)
ミッキー・ウルフマン(エリック・ロバーツ)
予告編
CM1
CM2
特別映像